Secret dream
目の前の行く手を阻むように立ち塞がった二人の見知らぬ男達は、貧相な顔に卑下た笑みを浮かべていた。
年の頃ならルルーシュと同じくらいか、少し年上のようにも見えるが、身に着けている衣服は人目で「金持ち」とわかる、上等なものを纏っている。
どこかの金持ちの子息か、あるいは貴族の御曹司と言った風貌だったが、貧相な顔には品格が感じられない。
その癖に、家柄を鼻にかけて矢鱈と権力を誇示したがる輩が最近は増えていることに、ルルーシュは苛立ちを感じていた。
と言うのも、戦争の功績によって、爵位を得たり多大な財産を取得するブリタニア人が増えているからだ。
単なる「成り上がり者」の彼らは、手にした権力を見せつけるように、街中で横暴な振る舞いを恥ずかしげもなく行う。
「お前、今俺たちを睨んでいただろう!?」
「別に・・・」
「嘘を吐くな!」
ルルーシュは嘘は吐いていない。
確かに、つまらなさそうな顔をして通りを眺めてはいたが、睨むどころか、その存在にすらルルーシュはまったく気づいていなかった。と言うより、少しも気にしていなかったのである。
「睨まれた」と感じたのは、相手の勝手な思い込みでしかなく、煌びやかな服を纏った自分達が注目されているという、「成り上がり者」のとんでもない勘違いと思い上がりの賜物でもあった。
ルルーシュにとっては、相手にするのも馬鹿馬鹿しい存在だ。
だから、それを鼻で笑って、ルルーシュは侮蔑の瞳を二人に向ける。
それがかえって怒りを煽ることになるのは承知の上の行動だった。
ルルーシュは喧嘩が強いわけではなかったし、腕力に自信があるわけでもなかったが、「ギアス」と言う特別な力を持っている。
絶対遵守の力は、攻撃の為だけではなく、保身にも大いに役に立ってくれていた。
相手の怒りを煽るだけ煽っておいてから、ルルーシュはギアスを使い、相手に無様な恰好をさせて愉しむつもりでいる。
そうすることで、苛立ちの気晴らしをしようと考えているのだ。
怒りを露にした男の顔がルルーシュの咆虐心をますます煽る。
口端に歪んだ笑みを滲ませて、人を小馬鹿にしたような顔は、ルルーシュがもっとも得意とする表情だった。
その表情に、怒りが頂点に達した男が、ルルーシュの胸倉を掴み上げ、もう一人の方はそれを愉しげに眺めていた。
軟弱そうな少年が、二人を相手に勝てるとは思ってもいないのだろう。
それでもルルーシュは余裕の笑みを浮かべていた。
胸倉を掴んだ男の拳が握り締められて、それを見たルルーシュは自分の左目にそっと手を翳す。
禍々しい赤い光が左目に宿り、目の前の男に向けて命令を下そうとした瞬間に、ルルーシュの体がふわりと宙に浮いた。
突然のことに驚いて、後ろを振り返れば、厳しい顔をしたジェレミアがルルーシュを抱え上げていた。
体が浮いたような気がしたのはルルーシュの気のせいで、実際は後ろから脇を抱えられ、体を持ち上げられていたのである。
抱え上げたルルーシュを自分の後ろに匿って、ジェレミアはものも言わずに、さっきまでルルーシュの胸倉を掴んでいた男をいきなり殴り飛ばした。
ルルーシュが止める間もなく、ジェレミアは更にもう一人の方へと足を向ける。
先に殴られた男は地面にうつ伏せに倒れていて、気絶しているのか、起き上がる気配はまったくない。
神社の前を通り過ぎようとしていた通行人の悲鳴が、呆気にとられていたルルーシュを我に返らせた。
「ジェレミア!」
思わず名前を叫んで、もう一人に殴りかかろうとしているジェレミアの腕を掴み、その場から立ち去ろうとしたのだが、ジェレミアはその手を振り払って、終にはもう一人を殴り倒してしまった。
あっという間の出来事に、ルルーシュはなす術もなく呆然としている。
ジェレミアが二人を殴り倒したことよりも、自分の手を振り払ったことの方に、ルルーシュは驚きを感じていた。
「怪我は、なかったですか?」
しかし、何事もなかったかのように、そう言ったジェレミアは気が済んだのか、いつもと変らない。
野次馬の人だかりが徐々に増えて、遠くでサイレンの音が聞こえた。
ルルーシュは慌ててジェレミアの腕を掴んで、その腕を強引に引っ張りながら走り出した。
今度は振り払われるようなことはなかったが、ジェレミアは不思議そうな顔を浮かべている。
人垣をすり抜けて、人目を避けるように通りの一本奥の細い路地に入り込むと、ルルーシュは足を止めて、尾行者の有無を確かめた。
後を追いかけてくる者がだれもいないことを確認すると、ゆっくりと歩き出す。
「ルルーシュさま?」
「お前はなにをやっているんだ!?あんな人目のあるところで人を殴るなど・・・」
「で、でも・・・ルルーシュさまが、危なくなったら守りなさいと、ナナリーさまに言われました」
「お前に守ってもらわなくても、俺は全ッ然大丈夫だった!」
むっとして、歩調を速めたルルーシュの後を、ジェレミアが必死に追いかける。
来た時とは違う細い路地を幾つも抜けて、少し遠回りする形となりながらも学園の裏門へと辿り着き、再び尾行する者がいないことを確認してから、門の中へと足を踏み入れた。
学園の敷地の中は静まり返っている。
冬休み中、寮内の学生の殆どが帰省したり旅行に出かけたりしているので、学生の姿は殆ど見かけない。
ジェレミアを連れて歩いても、怪しまれる心配はなかったが、それでも部屋に戻るまでは気が抜けなかった。
特別心配性と言うわけではなかったが、ルルーシュが用心深くなったのは、ゼロの仮面を着けるようになってからだ。
自室の前まで辿り着いたルルーシュが、ようやく安堵の溜息を吐いたのも束の間、扉を開けたルルーシュの耳に朗らかな笑い声が聞こえてきて、訝しく顔を顰める。
部屋の中にはナナリーがいるはずだが、他には誰もいない。
笑い声に混じって聞こえてくる会話の声は、ナナリーともう一人別のものだった。
しかも、その声に、ルルーシュは確かに聞き覚えがある。
嫌な予感を隠し切れずに、声のする方へと足を進めると、ナナリーとテーブルを挟んで座る、最近見慣れた男の姿があった。
「ク・・・クロヴィス・・・」
絶句に近い状態で、呆然と突っ立ったままのルルーシュの後から、ジェレミアがひょいと顔を出した。
「お兄様、おかえりなさい」
「ジェレミアも戻ったようだね」
「・・・ナナリーさま、それは、誰ですか?」
ナナリーと親しげに話すクロヴィスに、ジェレミアは見覚えがないらしい。
「酷いなぁ・・・キミをここに連れてきたのは私なのだが・・・」
「まぁ、それではクロヴィスお兄様が、この方を?」
「お前達に役に立ってもらおうと思ってね」
ナナリーの話し相手にはなったが、ルルーシュの役には少しもたっていないジェレミアだった。
しかし、今ここでそんなことを言っても始まらない。
それよりも、「ナナリーの前には姿を見せない」と言った幽霊のクロヴィスが、白昼堂々とここにいるのかが、ルルーシュには穏やかなことではなかった。
怖い顔をして睨みつけるルルーシュを、「まぁまぁ」と宥めるようにしながら、クロヴィスは困った顔をしている。
「なにをしに来た!」
「いやぁ・・・そろそろ時間だからね・・・」
「時間・・・?」
「言っただろう?後でちゃんと元に戻すと」
「では、ジェレミアを連れて帰るんだな?」
そう言ったルルーシュの顔に、少しだけ穏やかさが戻ってきている。
しかしクロヴィスは、首を横に振って、相変わらず困った表情を浮かべていた。
その横では、ナナリーが少し寂しそうな顔をしている。
「違うよ、ルルーシュ・・・帰るのはお前の方だ」
「・・・なにを言っている!?ここは俺の部屋だ!帰るというのなら、お前達の方ではないか」
「まぁ・・・この部屋はそうかもしれないけれど、ここは夢の世界だから・・・」
「ゆめ・・・だと?」
ルルーシュは胡散臭そうに、眉を寄せる。
もし、ここが本当に夢の中なら、これほど現実感のある夢があるのだろうか。
「信じられないのは仕方がないが、でも本当のことなのだよ。・・・考えてもごらん、お前は幽霊などと言う非現実的なものが存在するとは思っていないだろう?」
「それは・・・そうだが」
そう言われても、ルルーシュには納得できなかった。
そのルルーシュを、ジェレミアがじっと見つめている。
「それに、早く帰らないと、取り返しのつかないことになってしまう」
「・・・取り返しのつかないこと・・・とは?」
「夢の中と現実の世界では時間の流れ方が違うのだよ。ここでは一週間かそこらくらいしか経過していないが、現実の世界ではもう一ヶ月近くお前は眠ったままなのだ。・・・医療技術が進歩しているから一ヶ月くらいなら飲まず食わずでも死ぬようなことはないだろうけれど、このままずっとここにいれば確実に死ぬよ?そうなったらお前は永遠にここから戻れなくなる。それは私の本意ではないからね・・・」
「な、なんだと!?」
唐突にとんでもないことを言われて、ルルーシュは焦った。
しかし、クロヴィスが言ったことが事実だとしても、ルルーシュにはどうすれば戻れるのかがわからない。
「心配することはない。戻りたいと強く想えばいつでも戻れる」
「ほ、本当か!?」
「だが、その前に、ジェレミアをこちらへ返してもらおうか」
言われてジェレミアを見れば、今にも泣き出しそうな顔をして、ルルーシュをじっと見つめ続けていた。
不安に怯えたその顔が、「離れたくない」と言っている。
しかし、今はジェレミアに構っている余裕はない。自分の生死がかかっているのだ。
「ジェレミア、こっちにおいで」
「い・・・嫌です!」
クロヴィスに促されても、ジェレミアはルルーシュの傍からはなれない。
「ルルーシュが困っている・・・」
べつにルルーシュは困ってなどいない。
このジェレミアを無視してでも、現実の世界へ帰る気満々だった。
それをわかっているのかいないのか・・・。
「ルルーシュさま・・・」
「離れない」と言わんばかりに、ルルーシュの体に抱きついたジェレミアは、人目を憚らずに大粒の涙をぽろぽろと零して泣いていた。
その泣き顔が、ルルーシュに現実の世界で自分の傍にいる本当のジェレミアを思い出させた。
きっと今頃、目を覚まさない自分を心配しているだろうと、ルルーシュは思う。
ジェレミアだけではなく、スザクもC.C.も、自分を心配してくれているに違いない。
ルルーシュには、現実の世界でやり遂げなければならないことがあるのだ。
だから、いつまでもここにいるわけにはいかないし、死ぬわけにもいかなかった。
―――戻りたい!戻らなければ・・・!
強く強く願って、体をジェレミアに抱きしめられる感覚を残したまま、ルルーシュは意識が次第に白い闇の中に呑み込まれていくのを感じた。
ぱちりと瞼を開けたルルーシュの視界に、見慣れた天井がぼんやりと映し出された。
薄暗い室内は、厚手の遮光カーテンが光を遮っているからなのか、それとも今が夜だからなのか。
目を覚ましたばかりのルルーシュにはわからない。
そこが、ブリタニアの帝都にある皇宮内の一室であることだけは、確かなことだった。
横たえた体をゆっくりと起こして、軽い眩暈を覚えたルルーシュだったが、体に然したる異常は感じられない。
改めて薄暗い部屋の中を確認するように見渡せば、自分の寝室に間違いはなかった。
無駄に広い寝室は、皇帝になったルルーシュの為だけのものである。
一人で使うには広すぎるベッドも、ルルーシュの為のものだった。
そのベッドの中でモゾリと蠢くものを見つけて、一瞬驚いたルルーシュだったが、すぐにその正体に思い当たって苦笑を滲ませる。
今のルルーシュの寝室に、いや、ベッドの中にまで無断で潜り込んでくる人物を、ルルーシュは一人しか知らない。
「ジェレミア?」
名前を呼びかけられて、ぴくりと反応したところを見ると、やはりそれはジェレミアなのだろう。
モソモソと動き回った挙句に、ルルーシュの腰に腕を回したジェレミアは、擦り寄るように抱きついて甘えの仕草を見せいている。
「・・・おい、ふざけるのも大概にしないか」
そう言って、軽い掛け布を捲り上げたルルーシュは、中から出てきたジェレミアに驚愕の表情を浮かべながら、頬の筋肉が引き攣るのを抑えられない。
「な・・・、」
「なんでお前がいるのだ」と言いたかったのだが、そんな簡単な言葉が出てこないほどに驚いている。
それもそうだろう。
そこにいたのは、確かにジェレミアではあったが、ルルーシュのジェレミアではないのだ。
仮面もつけていなければ、普段は見ることのできない左目の義眼が剥き出しになっている。
「ルルーシュさま」と、少したどたどしい口調でルルーシュの名前を呼ぶジェレミアは、夢の中のジェレミアそのものだった。
だとしたら、
―――これも夢・・・なのか?
そう思い、自分の頬を抓ってみるが、痛いような痛くないような・・・はっきりとした手応えが感じられない。
そんなルルーシュを不思議そうに見ているジェレミアは、さっきまでいた夢の中以上にリアリティーがあった。
しかし、夢の中の人物が現実に現れることなど、常識では考えられないことだ。
―――・・・そうだ、これは夢だ。俺はまだ夢の続きを見ているのだ!それが証拠に、本当のジェレミアがいないではないか・・・。
いつも傍にいるはずのジェレミアの姿が見当たらない。
もしも、一ヶ月もの間、眠ったままだと言うのなら心配で傍から離れるはずがない。
だから、それを無理矢理の根拠にして、「これは夢だ」と、ルルーシュは自分に言い聞かせた。